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俺の名はフラミンゴ、不思議の国の遊園地で住み込みのデザイナーをしている。
季節に応じたデザインで国を彩るのが俺の仕事で、大変だけどやりがいも感じてるし、これ以上ない天職だと思ってる。
遊園地内の自室に籠る事が多い為か、他の住人と比較すりゃ知り合ったアリスの存在は多くない。
多くないが、此れまでに何人ものアリス出逢い、そして見送ってきた。
自分で言うのも何だが、現実主義者で融通が利かない性格だと思う。
面倒事は嫌いだし、効率が何よりも大事だと思う。
だからアリスと関る事で仕事が滞るのは嫌だし、そもそも賑やかな空間は嫌いだから子供も好きじゃない。
これまでに知り合ったアリスとだって、率先として何処かへ連れてったことも無いし。そもそも深く交流を図った事が無い。
それで良いと思ってた。
深く知りあえば、そいつが元のクニに帰る時には寂しくなるんだろうし。構っていて堪った仕事を見て後で後悔すんのも嫌だし。
だから、
誰かをふと愛しく思うようになるだとか、必要だとか、これまでの生き様を全部否定するようになるだとか。
思うはずも無かった。
明日、現実を知るとしても。
彼の為に全てを受け止めたくなった。
___ フランツ・リントナー ___
■■■
「君が其処まで浅はかな奴だと思わなかった、___なんて不毛な恋に焦がれたんだろうね」
首を傾げ、後頭部で一本に纏める長い髪を風に乗せて揺らめかす。茜色の空には紫色の影が作られ始め、彼の顔色も見えやしない。
目の前の男が今何を思い考えているのか、普段より中身が見えないと思っていたが対峙した今、目の前の掴めなさが背筋をゾっと震わせる恐怖に姿を変えてしまう。
遊園地の奥にあるスペースは賑やかなミュージックが唯一控えめになるスポットで、そこに目の前の男を呼び出したのは他でもない己なのだから。額より角を生やした男は正しく招かれた客人に違いない。
「名前を知って、記憶を取り戻して、__今まで失っていた全てを手に入れて得るものが幸せだけとは思っていないでしょ。そんな綺麗事を語るのは止めようか」
時折見かけるその姿とは変わりがない、微笑う顔には屈託のない悪意無き無邪気さすら感じるのだから。
「俺が此処で生まれたっつう訳ねぇンだ。記憶がごっそり抜け落ちてる。……フラミンゴとして当たり前にドードーと遊園地で暮らす記憶しか持ってねェっつう事は、アリスみてぇに俺も記憶が弄られてるっつう事だろ。」
「御名答。よく気付いたねぇ、そんな疑問を持つ余裕なんてない筈なのに」
ぱちぱち、と繰り返される拍手の音は余りにも軽すぎる。重さの無い拍手が事の重要度に比例するようで、この疑問を叶えることがさも重要じゃないと答えられているようだ。
「初恋が最後の恋になるって、自信は?「好きな人がいる」「誰かを愛せる自分」に酔ってない?」
「今なら未だあの子を、あの子たちを元の世界に返せるよ。それをしないで不確かなこの世界に残すなんて、あの子たちは君の玩具みたいだね」
「恋が冷静で現実的な君の頭を狂わせちゃった?恋の仕方何て何十年も知らなかった癖に、――」
抑揚が有るようで無い、声だけはフワフワとしている癖に耳に届くのは銃弾のように罪悪感を抉る。
自分以外の体温がこんなにも暖かいと知らなかったのだ、目を閉じていたって太陽みたいに明るい笑顔が浮かぶのに。
どうして、今更、彼を諦めることが出来ると言うのか。
「煩ぇヨ。ゴタゴタ言ってねぇで、俺の名前だとか何だとか教えろ。」
睨むように向けた眼も迫力なんて持っていない筈、生憎と喧嘩慣れ何てした事が無いのだから。
意を決するように向けた言葉、気持ちが負けてしまわないように後頭部をガシガシと力強く掻き毟る。
「俺が名前思い出して、本当の名前でアイツに呼ばれたいンだわ。ごちゃごちゃ言ってっとその角折っちまうぞ」
イ゛ー、と歯を見せるように口を開きビシと真直ぐに立てた中指を見せつける。
あいつはお人好しで、俺の事ばっかり考えるから。
俺が名前なんか要らねぇって言えば、自分も綿菓子で良いって頓珍漢な事を言いだすに決まってる。
でも、俺が名前を取り戻して。あいつの名前を繰り返し呼べば、あいつは国に邪魔されたって名前を忘れない。
取り上げる事なんか出来るかよ、テファンも、双子も、家族の事をあんなに大事にしてるっつう事は名付け親だって素敵な人だったに決まってンのに。
そんな人からの贈り物を、国の身勝手なルールで取り上げられて堪るか。
一世一代の勇気を振り絞って得体の知れない馬に啖呵を。
ゆるゆる、と力を抜いて立てた中指を拳に戻せばぎゅうと口内で唇を噛み締め反応を持つ。
「うん、いいよ。」
駆け引きが好きな奴だ、きっと適当な事を言って誤魔化すに決まってる。こんなにも多くの住人が名を失ってるのに___良い?
「ハァ?___そんな簡単に、え。良い?」
長丁場になる事を予想していた、今日が駄目なら何度でも銀河の塔に通うつもりだってしていた。
それが、良い?
「別に、戻してほしいなら戻してあげる。僕には要らない記憶だもん、__でも、無理して思い出す必要も無いんじゃない。」
くすくす、くすくす、軽い笑い声を共に頭を何度かコクコクと揺らし、再び頭を傾けると最終通告のようにそれを述べる。
"過去が優しいなら、今君はこの世界に存在していないのだから。"
頭の内からユニコーンの声が聞こえる。それが、彼なりの優しさゆえのはぐらかしだと気づかないほど鈍感じゃないのだ。
応える為に、にぃ、と口元に笑みを浮かべて見せた。
「___ほぉんと、良い顔で笑う様になったねぇ。テファンに感謝しないと駄目だ」
根負けした様に、小さく吐息を漏らしたユニコーンの笑みだけが頭に焼き付いて、記憶は閉じた。
■■■
「やぁ、おはよう。ミンゴちゃん」
ガバっと飛び起きたのは、慣れ親しんだ自身のベッドの上。
ベッドの傍には倒れ込む様に眠る恋人と、仕事用の椅子に腰かけるドードーの姿。疑問符ばかりで状況が把握できないで戸惑っていれば、
「ユニコーンが倒れてるお前を教えてくれた、お前を背負って戻って来たら意識の無いお前を心配して離れなかった。今は疲れて寝てるが、何度もタオルを変えて疲れてるんだ。寝かせてやれ」
戸惑いを見たドードーが状況を簡易的に説く。困った奴だと呆れを含んだ表情で笑みを浮かべて此方を見る。
「それで、知りたい事は知ったのか。」
潜めるように、小さな声で短い質問を。
「知ったけど、未だお前に教えねぇヨ。一番はこいつって決めてンだ」
むにゃり、と口籠った恋人の澄み切った綺麗な白い髪を撫でるように触れる。
筋張ったゴツゴツとした手で触れるのが申し訳なくなるくらい、繊細な髪を撫でれば
「ふーちゃん、早ぅようなってなぁ」
小さな声で漏らされた願いに、幸せな笑みが小さく落ちた。
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俺の名は、フランツ・リントナー。ドイツに有る貧民ばかり集められた孤児院で育った糞餓鬼だ。
孤児院に行くまではデザイナーの母親とそれをサポートするマネージャーの父親、三つ年上の兄貴が一人の四人家族だ。
遊園地内の自室に籠る事が多い為か、他の住人と比較すりゃ知り合ったアリスの存在は多くない。
母は太陽みたいに暖かくて、賑やかで、一緒にいるだけで楽しい人。父親は過保護で優しくて大らかな、時々厳しいそんな人、兄貴は三つしか違わないのに何時だって助けてくれたスーパーマン。
他のどの家族より、幸せだったと思う。
自分で言うのも何だが、とんでもない糞餓鬼だったのが俺だ。
嫌だと言ったら利かない頑固者だし、その癖我儘は一丁前。自我が芽生えたばかりの四才だった俺は、兄貴の持つ玩具が欲しかった。
それが欲しいと騒ぎ立てて、明るい母も困った顔をして注意して、父親は今度同じのを買うから我慢しろって、兄貴はいいよやるよって言ったのに、良いって言われたら素直に受け取れない意地っ張りだった。
もう知らない、死んじゃえって。スラングが口癖だった隣の家の友達ギュンターの真似して吐き捨てて、逃げるみたいに隣の家に遊びに行ったんだ。
理不尽に怒り疲れて、其の儘不貞寝をしてた俺を慌てて起こしたのはギュンターの母親で。
興奮した声、ゾッと怯えるように青白い顔で俺を連れ出した。
真っ赤に燃えた、形の無い家と対面したのはその時だった。
糞みたいな言葉が、本当になった瞬間。俺が取り返しのつかない事をしたのだと思い知った。
その後は有触れた生活を、おんなじ境遇の奴らと過ごして。
気付いたら不思議の国に紛れていた。
家族を殺したのは俺なのに、何も無かった振りをして、忘れちゃいけない記憶だけを忘れて。
明日、現実を知るとしても。
彼が俺を愛してくれると知っている。やっぱり俺は狡いままなのだ。